2008年12月28日日曜日

そういう風に見えますか

アマゾンから届いた大量の段ボール箱をゴミ捨て場に運んでいたときのこと。

「ちょっとあなた、うちのゴミも捨てておいてくれない?」

同じ階に住む白人女性に声をかけられた。初めて見る顔だが、苦労を知らずに育ったお嬢様という雰囲気である。それがゴミを運べとおっしゃる。

お嬢様というものは初対面の隣人だろうと遠慮なくこき使うものらしい。むっとしたが、聖書には「隣人を愛せよ」とある。レディーファーストの国アメリカに住んでいるのだから仕方がない。いいですよ、と答えて隣人の敷居をまたいだ。

家具でも買ったのだろうか、大人が3人は入りそうな梱包材が部屋の入り口に放置されていた。ゴミ捨て場まで5往復で足りるかどうかという量だ。軽そうな紙束が大量にあったのでそれから取りかかる。隣人の彼女はといえば、手伝いもせずに靴のカタログを眺めている。当方はまたむっとする。

特大の段ボール箱を部屋から運び出そうとすると、彼女が一言。

「廊下に傷をつけると困るから箱をつぶしてから出してね」

なんの因果で師走の一日をこういうことに費やさねばならぬのだろうか。レディーファースト、レディーファーストと自分に言い聞かせながら黙々と作業をする私。箱を分解するのに工具があれば助かるんですけど、と言ったら

「そんなものないわ」

と一蹴。No such thingですかそうですか。自分の部屋に取りに帰ってまた作業続行。手が痛い。

30分以上かけてお嬢様のゴミをすべて運び出して差し上げた。この彼女、一度も手伝わないものだから気分がかなりブルーになり、すごすごと帰ろうとしたそのとき、

「これ持って行って」

なぜか10ドル札を手渡された。ああ、この人、勘違いしているな、とわかったのはこのときだ。私はただの隣人ですからチップは不要ですよ。彼女にそう伝えた。

「ええっ! アパートメントの掃除夫の人だと思っていました。ごめんなさい。私の名前はA子。あなたは?」

さっきまでの仏頂面からはうってかわり、いきなりフレンドリーになった。だからといって私の心の傷が癒えるわけではない。

◇ ◇ ◇

こういう話もある。

お手製の弁当を袋に入れて仕事場に向かっていると、

「ちょっと、メニューもらえる?」

と言われた。意味がわからずぽかんとしていると

「ランチのデリバリーの人じゃないの?」

いえ、これは私のお弁当ですと言うとその人はお詫びをしつつ去って行った。ちなみに自宅の近所で弁当屋に間違えられたことは3回もある。

◇ ◇ ◇

職業に貴賤はないというしこういうことを言うのは気が引けるが、掃除夫とか弁当屋とかそういった職業の人に間違われることが多いのである。日本にいたときはこんなことはなかった。私の顔がそういうふうにできているのか、それともなにか人種差別的な何かなのだろうか。